九州の旅

千葉から1550km。最南端でミレニアム
(2000年12月)

出発

  毎年、年末は東北地方に出かけることにしているのだが、多分多くの人が迷ったように

私も21世紀をどこで迎えるのかについてはかなり頭を悩ませてしまった。いつものように?!

東北地方の雪山で迎えるべきか散々迷ったあげく、南国九州を目指すことにしたのは、12月も

中旬をすぎた頃であった。千葉から鹿児島まで高速道路で行くと高速料金だけで2万円以上も

かかるという大プロジェクトである。ルート的には神戸まで高速を使い、神戸から大分まで

ダイヤモンドフェリーを使うことにした。千葉から22時間で大分まで行ける最速ルート??

である。

 

神戸への道

  出発の朝、全国的に冬型の気圧配置が強まり、非常に寒い朝となった。柏インターから

常磐道に入り首都高速に入るまでは非常に順調であった。しかし、首都高速に入ったとたん

激しい渋滞に巻き込まれてしまった。仕方なく首都高速を降りて環状7号線を走ることにする。

思いのほかすいており、中央道の調布インターから再び高速道路に入るものの相模湖で事故渋滞。

この時点で神戸のフェリーの出航時刻まで6時間しかなくなってしまった。名神や阪神高速での

渋滞を考えると致命的な時刻である。当然お昼ご飯は運転しながら食べることになる。

甲府をすぎると雪が降り出してきた。道路脇にはうっすらと雪が積もっているが路面には雪はない

とはいえ100キロ前後で走るにはちょっと不安な天気である。結局、甲府から降り出した雪は

京都の近くまで止むことはなかった。そして幸いにも名神、阪神高速の渋滞にあうこともなく、

神戸のポートアイランドに到着したのはフェリー出港の30分前であった。

 

船旅

  19時頃けたたましい銅鑼の音が鳴り響いた。乗船後すぐ風呂に入った私はこの銅鑼の音を

湯船の中で聞いていた。風呂をでてレストランに行くことにする。焼き肉定食と缶ビールを

注文する。値段はそこそこ高いがボリュームはかなりあり結構満腹となる。今回は

寝台を取ってあるのでカイコ棚のベットに早々と潜り込むことにした。深夜に松山に寄港し

早朝の大分までぐっすり眠ってしまった。というのは嘘で松山寄港時にはエンジンの振動が

かなり激しく、船体全体がガタガタと揺れた。しかし、それ以外は快適な船旅であった。

 

阿蘇山

 早朝の大分港に上陸後、ファミレスで朝食をとると次第に外が明るくなってきた。とうとう

九州に上陸したのだという実感は・・・残念ながらあまり高まってこない。とりあえず別府の

町を通過し、阿蘇方面に向うことにした。残雪の残る外輪山を通りまずは定番の大観峰へ向う、

相変わらずの雄大な眺めを楽しんだ後、今度は草千里に行き昼食をとる。冬枯れの草千里は

色彩的には今一つといったところだった。そして、いよいよ阿蘇山の火口である。ここは

大観峰や草千里と違って今まで行ったことがなかった場所なので期待度「大」であった。

訪れたてみてかなりの迫力に圧倒される。湯気を吹いている山はいくらでもあるが阿蘇山の

それは他の山とは一味違う、時折吹き上げる湯気にすっぽり覆われると息苦しくなったり

するのだ。随所にある避難用のトーチカも雰囲気を盛り上げていた。これから阿蘇山に

行かれる方、火口はお勧めです。

 

 
(大観峰からの眺め)                  (米塚)

 
(かなりの大迫力阿蘇山火口)            (白川湧水池)

高千穂へ

阿蘇山見物をした後、白川の水源や南阿蘇鉄道の高森駅などを見て高森峠を越えて高千穂を目指す。

まだ明るいうちに高千穂の町に到着し天の岩戸神社を見る。しかし肝心の天の岩戸を見るには神主さんに

一声かけなければいけないらしく、すごすごと引き返してしまう。近くの温泉に入った後、今晩の寝場所

探しに入るがなかなかいい場所が見つからない。ようやく見つけた場所は国道の路肩が広くなって

パーキングのようになったところであった。そこには8年前に大学のサークルの旅行の時、みんなで行った

カラオケボックスがあった。あれから8年、カラオケボックスは廃墟となっていた。しんみりした気分で

ビールを飲み、長かった九州上陸1日目を終えた。

 

高千穂見物

 翌日、今日も冷込みが厳しい。まずは高千穂峡に向け車を走らせた。

 
(高千穂峡)                    (槍とび)

早朝の観光地、やはり人は少ない。渓谷沿いの遊歩道を歩くと途中で素焼きの勾玉の無人販売をやっていた。

早速一個購入する。渓谷を歩いていくと槍とびというところに出る。昔、戦に負けた武士がこの谷を渡るとき

槍を使って棒高跳びのようにこの谷を渡ったそうである。そして槍を手前の岸につけたものは助かり、

向こう岸につけたものは川に落ちて溺れ死んだ(逆かも??)ところらしい。谷もそこそこ深いが

水深もかなりありそうな場所だった。この後、高千穂神社、国見が丘を見て高千穂を後にした。

 

五家荘探索

 高千穂を出た後、熊本方面に向けて車を走らせた。今回の旅で椎葉に是非行きたいと思っていたのだが

(平家の落人集落を是非見てみたかった)高千穂からではあまりに距離が近く、通過しただけとはいえ、

過去に一度いったことがあるので山をはさんで反対側の五家荘に行くことにしたのだった。砥用町を通り、

二本杉峠を越えるころには国道とはいえかなり険しい道となる。この峠はその名前のとおり頂上に大きな

杉の木があり、獣道のような道を通って二本杉にたどり着くことができる。

(たしか一本はもう枯れていたと記憶している)おそらく何百年かの間、峠の頂上の目印となり

この峠を越える旅人達を見守り、時にはこの木の下で野宿をする者もあったであろう。

そんなふうに思わせるほど立派な木であった。そしてこの峠を下るといよいよ五家荘である。

五家荘に入り早速宿を探すのだが何しろ山深く集落らしき集落がなかなか現れない。

やっとのことで小原という地区で旅館を見つけることができた。飛込みではあったが宿泊できると

いうことなので早速車から荷物をおろす。どうも本日の宿泊客は私だけであったようだが

宿帳を見ると紅葉の時期には結構泊り客があるようである。夕飯にはなんと鹿刺がでてきたりして

深山の夜をたっぷりと楽しむことができた。

 翌朝、冷えこみがかなり厳しい。車の温度計を見ると外の気温は氷点下4度である。

当然車のフロントガラスはバリバリに凍りついている。宿の人がお湯を用意しようか?と

いってきてくれたがガラスが割れたりしないか心配だったのでとりあえず遠慮すると

なんと傘を2ついただいた。はるばる千葉からきた客、言い換えればリピーターには

ならないであろうお客にたいして、ここまで親切にしてくれるのには正直感動した。

フロントガラスの氷の溶けたセフィーロは放し飼いになっている旅館の飼い犬?!に見送られて

旅館を後にした。

 

国道沿いにはいくつかの滝が・・・          左座旅館(泉村ホームページより許可を得て転載)
(梅の木轟)

 

鹿児島へ

今日は川辺川沿いに人吉に向けて南下することにした。とりあえず、えびの高原の露天風呂を目指そうと

思ったのだった。人吉の市外を通過し堀切峠を越えようとするところで、ループ線とスイッチバックで有名な

大畑駅が近くにあることに気づき、寄り道することにした。この先に駅があるとは思えない細いつづら折りの

道を登ったところに駅はあった。もとは鹿児島に行くメインルートであった肥薩線にあるこの駅はホーム上に

洗面台のあとがあったりして歴史を感じさせる駅である。保線職員らしき人たちが駅に飾る門松の作成を

している。この駅は訪れる人が非常に多いようで駅舎には切符やら定期券がたくさん張ってある。遠く関東から

くる人も多いようである。30分くらい休憩したあと再びえびの市にむけて車を走らせる。そしてえびの高原の

露天風呂到着。早速入浴する。がしかしお湯がぬるい。雰囲気と景色はすばらしいのだが・・・どうやらここは

宿泊もできるようであるので(山小屋風の建物に宿泊するようだった)今度来たときにはチャレンジしたいものである。

そして霧島神宮を経由して国道10号線を走ると桜島が見えてきた。いよいよ鹿児島に到着である。

大畑駅にて

 

野間半島

昨日は喜入町にある道の駅喜入に宿泊した。温泉施設のある道の駅で駐車場も広くキャンピングカーで宿泊している

人も結構多かった。今日は薩摩半島を一周することにした。とりあえずアグリランド頴娃というところに朝風呂に入り

にいくことにした。開聞岳の眺めのすばらしい温泉である。入浴後、知覧に向けて車を走らせる。知覧といえば武家屋敷

と特攻記念館である。実は特攻記念館は1995年の卒業旅行で訪れている。展示内容は正直かなり重い・・・多分日本で一番

インパクトのある施設だと思う。でも一回は行った方がいいかもしれないそんなところである。そして今回初訪問の

武家屋敷である。車をとめるのに大変苦労しながらもようやく武家屋敷にたどり着く。武家屋敷の雰囲気は下のような感じ

でありかなり独特である何件かの家では実際に庭に入ることもできるのだ。

 

開聞岳(アグリ頴娃付近より)             武家屋敷の道 

 

 知覧の町を出て、今度は野間半島から坊津、枕崎にかけて海岸線を一周することにした。途中、野間池には

きれいなレストランと日帰り温泉?!を持つレジャー施設のようなものがあったがこのコースは道が悪く、

改良が進んでいるとはいえ狭くてやたらとカーブが多い道が続いている。自分の車(当時)のシルビアなら

ともかく図体が大きく足がフニャフニャのセフィーロでは正直とり回しがつらかった。おまけに食事を取れる

ところが先ほどのレジャー施設しかなく午後3時ごろ到着した枕崎まで食事にありつけなかったのもつらさに

拍車をかけてしまった。旅から1年経った今では海辺の道というよりは急斜面の上を走る細い山道という印象が

残っている。



野間半島(時折見える海はこんな感じが多かった)

 

枕崎のあたり

 枕崎につくとまずは港に向かう、港に行けば魚が食べれると思ったのだがあいにく食堂は営業時間外だった。

仕方なく駅へ行く。駅は・・・荒廃していた。駅舎内には観光協会の案内所があるものの、なんと駅舎内には

照明があるようには見えない。当然無人駅である。改札?!の内側にちょっとしたスペースがあるのだが

何とそこには車がとまっていた。まるで東南アジアの駅のようだ。やがてやってきた列車に乗り降りする人は

まばらで、もはやこの線が交通機関としての役割を終えているという感じを強く受けた。やはり駅前にも

ぱっとした食堂がないのでしぶしぶほかほか弁当を食べることにした。結局この日は鹿児島市内で夜食をとり

市内のホテル(温泉つき)で宿泊となった。

 

大隈半島

あけて12月31日今日は大晦日である。街行く人はコートを着ていたりするがさすが南国、冷込みは弱い

まずはフェリーを使って桜島に渡ることにする。このフェリーの乗船時間は15分程度のものなのだが

売店や化粧室(トイレではない、化粧するためのスペース!!)もあってなかなか飽きない。

記憶では立ち食いそばもあったような気が・・・桜島に上陸するとまずは島の東側を通ることにした。

有名な埋没鳥居や荒涼とした溶岩流のあとなどを観光する。その昔、噴火前には島の井戸水が沸騰したりした

そうである。事実、山は今でも生きており、島内はかなり埃っぽい。島内を軽くドライブして大隈半島に入る

明日は2001年1月1日であり、21世紀を最南端の佐多岬で迎えようという魂胆である。ただ、まっすぐ佐多岬に

向かうにはあまりにも時間が早いので、鹿屋市から内之浦方面に抜けて大隈半島の太平洋側の景色を楽しむ

ことにした。人気のあまりない海岸をしばらく進むと突然研究所風の施設が現れた「文部省宇宙化学研究所」

である(内之浦町)守衛室で名簿を記入すると車で施設内に点在する様々な施設を巡ることができる。

(もちろん、発射台、展示室などもある)とりあえず記念写真をとることにした。

文部省宇宙化学研究所内にて(現在名称は変わってるかもしれません)

大隈半島の海岸(太平洋側)こんな感じの海岸が多かったです。

 

だんだんと夕暮れが近づいてきたので20世紀最後の夕暮れを見ようと再び鹿児島湾を目指した。

大根占町から手頃な海岸線を探しつつ南下すると国道沿いに日(薩)英戦争砲台跡という看板があり

早速立ち寄ってみることにした。記憶では砲台の台座らしきものと復元?!された大砲がおいてあったような

気がした。ここからの夕日にも今ひとつ納得いかなかったので少し移動した道の駅?!前の海岸線で

最後の夕日を見送ることにしたのだった。

 

日(薩)英戦争砲台跡より                (道の駅?!前より)

 

日没後、再び大根占町まで戻って日帰り温泉で入浴を済ませた。ここの露天風呂にはトロピカルな

植物がたくさん植えてあり、まるでジャングル風呂のようであったことを覚えている。風呂を出るとあたりは

完全に暗くなっており、いよいよ本日のねぐらとなる場所を探すことにした。もちろん21世紀を本土

最南端で迎えるという大きな目標があったので自然と佐多岬近辺を目指すこととなった。佐多岬に行く道は

有料道路で夜間は閉鎖されているので(元日は午前3時ごろから開くようだが)岬近辺の道を走りまわったが

なかなかいいところがない。結局国民宿舎前の駐車場(夏場はキャンプ場の駐車場になるようだった)で

一夜を明かすことにしたのだった。

21世紀元旦

 そして迎えた2001年元旦。夜明けとともに海岸に出てみる。人ごみを嫌って佐多岬ではなく、国民宿舎の前の

海岸で初日の出を見ることにした。完全に日の昇った後、いよいよ佐多岬を目指して走り出す。岬はかなり混雑

していたようで反対車線は車がひっきりなしに走ってくる。岬の先端に着き、岬までの10分ほどの小道を歩いていく

あたりの植物はどことなくトロピカルな雰囲気が漂い、かすかに波の音が聞こえてくる。そして岬の先端に出た。

岬そのものは断崖となっており景色はすばらしく良い。

 

2001年元旦の初日の出                佐多岬への小道より開聞岳を望む

 

佐多岬からの眺めはこんな感じ(佐多岬灯台が見える)      グラスボートの出る浜

 再び駐車場に戻ると駐車場の砂利の間からなにやらトロピカルな感じの木(5センチくらい)が

生えていたのでなんとなく持ち帰ることにした。(家に持ち帰ると1年で15センチくらいに成長した)

そして帰り道にグラスボートに乗ることにした。グラスボートからの眺めは下の写真のような感じであった。

写真には写ってないが泳ぐ魚は熱帯魚そのものといった感じである。

 

結構、本格的なサンゴが見られる               佐多岬の灯台(洋上より)

 

桜島へ

 今日は桜島観光をして、一気に長崎まで行くという強行スケジュールの日である。とりあえずナビ

を自宅までセットすると1550キロもあった。さらに今回は長崎もよって帰るので200キロプラスかな?

本当はもっとゆっくりしたかったのだが仕事の関係でどうしても1月4日までに帰らなければならな

かったのでこのような日程になってしまった。佐多岬からはまっすぐ桜島をめざした。途中国道の脇に

神社のようなものがあるのを発見した。結構人がきておりそこそこ有名な場所のようである。早速車

を止め行ってみることにした。なんでも菅原の道真に関係する神社らしかった。早速初詣をする。

そしていよいよ桜島観光である。
 
菅原道真ゆかりの神社           南側から見た桜島

今日は桜島の西側を回った。途中駐車場があり、遊歩道が整備されてる場所があったので車を止めて

散策することにした。駐車場の隣の車のフロントガラスにはうっすらと火山灰が積もっている。

この日は降灰が多いようで歩いていると顔にちりちりと何かがあたる感触まである。(桜島の風下だった)

溶岩流の跡をあるくこの遊歩道は桜島の眺めもすばらしく、桜島の荒々しい山肌がくっきりと見えた。

(下の写真参照)そしていよいよ桜島ともお別れである。お別れの前にフェリー桟橋隣にある温泉に

入ることにした。桜島マグマ温泉??なんて名前がついてたような??きれいな温泉である。湯船が

いくつかありその中の茶色いお湯の湯船が温泉となっているようだ。早速入浴・・・・

あ、熱い!!灼熱風呂だ。秋田の角館温泉、福島の湯本温泉の「さはこの湯」と並んで日本三大灼熱温泉

に認定できる熱さである。ここらへんがマグマ温泉の由来なのだろうか?しぶしぶ透明な湯船に入る。

悪いことばかり書いてしまったが、透明な湯船は適温で、湯船から海を見ることができ、脱衣所も清潔で

お勧めできる温泉です。お風呂をでて駐車場にいくと桜島からもくもくと噴煙が立ち昇ってきました。

どうやら噴火したみたいです。(残念ながら音は聞こえませんでした)そして桜島桟橋からフェリーで

桜島を後にしました。鹿児島上陸後は九州自動車道を爆走。長崎についたころにはすっかり日も暮れて

いました。長崎の町は山に登らなくても夜景がきれいでとってもロマンチック??な雰囲気がただよって

ました。今度はゆっくり来てみたいなと思いつつ、眠りについたのでした。

  

(桜島の遊歩道より)                   (噴火?!する桜島:温泉駐車場より)

 

(フェリーから見た桜島)                 (鹿児島へと渡るセフィーロ)

 

九州脱出

 いよいよ九州最終日となった。朝のうちに浦上天主堂を見るものの中に入れずがっかり、そそくさと

長崎を後にして長崎の西にある野母崎という岬に向かう。あまり道は整備されておらず。細い道を抜けて

山の上?!の岬に立つとあたり一面が海で、まるで海が壁のように見える。そして今日の目的のひとつ、

樺島の大うなぎの井戸に向かう樺島は九州本土と橋で結ばれているので車でも行くことができるのだ。

問題の井戸は集落の中にあった。直径1.5メートルくらいの井戸のなかは真っ暗で上から覗き込むと

うなぎらしき黒い塊が見えた。1.5メートルくらいはありそうな丸太のようなうなぎだった。

(写真にはとれませんでした)大うなぎの井戸を見た後、島原方面に車を走らせた。正月休みの島原半島は

渋滞が激しく、思いのほか時間をくってしまった。標高の高い雲仙はかなり寒かったがとりあえず雲仙地獄

などを観光した後、小地獄温泉に行った。真っ白なお湯ときれいな木造の建物が印象的な温泉で雰囲気は

かなり良く、ゆっくりと温まることができた。楽しかった九州の旅も終わり、あとは家に帰るだけとなった。

  

雲仙小地獄温泉              

京都へ

 雲仙から長崎自動車道、九州自動車道、山陽自動車道と車を走らせ、山口県内のサービスエリアで車中泊を

した。翌日は山陽道の混雑を嫌って広島から中国道に入るがこの日も、冬型の気圧配置が強くなっていて

広島から5分も走らないうちに雪が降ってきた。ここからの中国道は雪が降ったりやんだりの状態で当然のように

ノーマルタイヤをはいていたのでいつ雪が深くなるのか本当にひやひやした。途中、岡山県の美作町にある

湯郷温泉に立ち寄る。高速道路のサービスエリアに置いてあった情報誌に日帰り温泉の情報が載ってたのだ。

実は美作三湯といわれる岡山県の3つの名湯のうち、ダム下の露天風呂(砂湯)が有名な湯原温泉(山陰の旅参照)

には入ったことがあるのだが、ここ湯郷温泉と奥津温泉には入ったことがないので今回は湯郷温泉を攻略しよう

というわけである。温泉は新しくきれいな施設だった。駐車場で地元の人が昨日(1/1)は入浴者が2000人もいた

などと話していた。もちろん今日も混んでいる。ここのお風呂は露天風呂にトンネルぶろがあり、洞窟気分で

入浴することができる。しばらくのんびりした後、再び高速道路の人となる。途中、山陽道との合流地点で

渋滞に巻き込まれてしまったので京都に着いたのは夕方になってしまった。


神戸付近の渋滞

 

家に向かって

 翌日、早起きして西本願寺に行く、守衛所で記帳をすれば駐車料は無料である。守衛所の警備員さんに敬礼され

お寺の中に入る。本堂?!に上がると広々した大広間があった早朝なので誰もいない。早速寝そべる。高い天井と

冷え込みのせいか凛とした空気・・・清清しい気分で西本願寺を後にした。名神高速を走ることしばし・・・高速脇に

国宝彦根城の文字が見えた。ここも立ち寄ることにした。もちろん本物の城である天守閣からは鉛色の空に覆われた

琵琶湖が見えた。今日も大変寒く彦根の町も時折小雪がちらついていた。

 

国宝の門 (西本願寺にて)                        彦根城内にて

再び名神高速を走ると反対車線の車に

雪をたくさんつけた車が増える。名神高速の関が原はもちろん北陸道は大雪のようである。案の定関が原では

本格的な雪となった。スプリンクラーがあるので走行には影響ないが景色はもう雪国のそれである。

そうこうしてるうちに中央道は雪で通行止めになり東名高速の大渋滞が始まった。この日は関が原をすぎても静岡あたり

まで雪が降ったりやんだりの天気が続いた。せっかく京都を早く出たのに、結局。家に着いたのは夜遅くになって

しまったのだった。

大渋滞の東名高速